昨日の記事「憤り1」について

昨日書いた、大麻に対するメディアの扱いへの違和感を示した文章について、沢山コメントをもらいました。
また、非公開コメント(僕だけ見れるやつ)で、多少なりとも人に影響を与える職業をしている人間のブログなのだから、安易に扱う題材ではないという忠告も頂きました。

僕の書いた文章を読んで不快に感じた人がいたとしたら、それはとても申し訳なく思います。また、僕が書いた文章を「大麻、今でもちょっとぐらいならやってもいいじゃん!」という趣旨に受け取られてしまったのなら、自分の本意を表現する文章力のなさを痛感し、残念に思います。少なくとも自分が日頃感じているメディアに対する違和感を効果的に表現するのには、適切な題材ではなかったのだとも思います。

この件に関してはこれ以上書かない方が良いのかもしれませんが、一度発言した事に対する責任として、もう一度だけ文章で自分の本意を表現する事にチャレンジしてみたいと思います。

まずはじめに、大麻使用に対する自分の現状の認識を書いておきたいと思います。
ここで問題にするのは、飽くまで大麻です。覚せい剤やヘロインなどその他のドラッグの事ではありません。古くから自生していた植物と、科学的に合成された薬物とはやはり違うというのが、まず僕の基本的な認識です。

まず、文中にも書いたように、僕は大麻使用に対して肯定派(緩和派と言った方がいいでしょうか)ではありません。なので、その使用を推進する立場ではありません。

しかしやはり、否定派でもないのです。

中立であり、その是非についてはわからないのです。

何故かと言うと、まず、

「吸った事がないので、自分の経験を通した認識がない」(ある問題を判断するにあたり、その根拠となるべき第一次情報がない)

そして、

「経験を通した認識がないので、第三者が体験、もしくは研究した大麻に関する情報を見聞きしていくと、その害や効果に関する記述がまちまちであり、特に最近は刻々と変化している」(否定派の根拠となる情報と同じ位の量の、緩和派の根拠となる情報があり、最近の研究ではがんの抑制効果が期待できるとの報告があるなど、現在も情報が更新されていっている)

なので、僕にとっては精一杯誠実な意味で、「わからない」のです。わからないので、肯定派にもなれない代わり、積極的に否定も出来ないのです。

日本の法律で決まっているから犯罪だ、という事は勿論分かります。しかし、法律というのは普遍的なものではなく、不幸な事故をきっかけに危険運転致死傷罪が導入されたように、実際の社会が求める形に変わって行くものだと言う認識があります。医療の分野ですが、アメリカでは医療大麻は複数の州で合法化されていますし(オバマさんも容認の方向です)、世界的な流れとして罰則の軽罰化、ひいては合法化に向かっていっている流れがあると感じていたので、少なくともこの問題に関しては、真っ黒ではなく、グレー、議論の余地があるという認識を持っていたのです。

だからといって、日本もそれにならうべきだ! とも思っていません。他国の真似をする必要はないと思うし、また特に個人使用を合法化して欲しいとも思っていないので(医療目的に関しては、それで救われる人が多いのであれば、やはり議論の余地があるのではないでしょうか)。

そして、ここからが僕の本意というか、言いたかった事なのですが、少なくとも医療目的について、他国では合法なものを、「汚染」という言葉とセットでイメージづけるのは、報道としてフェアじゃないのではないかという事です。そこで僕らは考える機会を奪われてしまうのではないかと思ったのです。これは考え過ぎかもしれませんが、もし将来日本でも医療大麻が解禁された時、その言葉へのネガティブなイメージによって、それを必要とする人が躊躇してしまう事があるかもしれません。

言葉のイメージというのは、影響力の大きいものです。汚染という言葉でネガティブな連想をさせられるのと同様に、大麻をマリファナと言い換えるだけで、レゲエやラスタファリズムなど比較的ポジティブなものも連想できます。そのイメージ操作が、何ものかの為に行われているような印象が、僕に強い違和感と嫌悪感を抱かせているのだと思います。

上記のような事を、普段のブログの調子とさほど変わらぬよう、比較的軽いタッチで書いてみたかったのですが、やはり現状軽いタッチで書いていい題材ではなかったと思います。この点に関して、自分の認識不足でした。申し訳ないです。

ここまで三時間ほどかけて書きました。今の僕の文章力ではこれが精一杯だと思います。大麻に関しては、少なくとも僕の意見はこうだ、という事以上でも以下でもないので、これを読んでくれた人は僕のように意見を変えて下さい、という事ではありません。

また、混同されてしまいがちですが、覚せい剤などの薬物使用に関しては、僕は特に強い反対の意思を持っています。昨日書いた僕のブログが、それを容認するような受け取られ方をしてしまう恐れが少しでもあると思ったので、数日後に当該記事は削除しようと思います。数日後とするのは、今すぐに削除するのは感覚的になんとなくフェアではないと思ったからです。

それと、今日のも含めて一連の文章はやはり判断能力のある大人向けの文章であり、子供達に向けて発信する時には同じやり方ではいけないのではないか、とも考えさせられました。自分の頭で考える事は大事だけど、グレーな事は大人になってからでも良いのではと。これから自分の音楽を広めていく上で、それこそ今よりも言動に影響力が出るようなりたい(いや、なる。なるんだぜ!)わけですから、若い世代に対してこれからはより誠実な言葉で発信していくべきだと痛感しました。

色々と勉強になりました。明日はリハーサルです。気合い入れていきます。