地震、ライブ、義援金、そして日常を生きる事について。

長くなりそうなので、まず事実と結論から書きます。


昨日3/12、名古屋HUCK FINN FACTORYという小さなバーでアコースティックライブを行いました。
やはり地震の話(これから書くような事)が多くなり、ある種しめやかな雰囲気で始まりましたが、10数曲を歌い、自分のライブとして誇りをもてる内容になったと思います。来てくれたお客さん(来れなかった人も多かったですが、17人が集まってくれました)の、沢山の笑顔を見る事が出来ました。

そのひとりひとりが払ってくれたチケット代\2,500のうち\1,000を義援金として寄付させてもらいます。(てことは、何となく僕の分も足して、全部で\18,000です)会場でそのように話し、皆の拍手と了承を得ました。つまり上記の募金は(本質的にどちらでも良いことですが)僕からの募金ではなく、昨日のライブ参加者全員からの募金です。

結果、非常にありふれた行動ですが、そう思うに至ったのは自分なりの道筋を通った考えがあります。それをこれから書きます。
今この瞬間にも被災地(報道されていない地域も)には沢山の悲しみがあると思います。それを胸に銘じつつ書きます。


-地震について 自分が直接救援に関わる事の限界-

2日前、地震が起きました。
うち(川崎市)はコップが何個か落ちて割れたくらいで、被害は殆どありませんでした。

携帯はすぐ繋がらなくなりましたが、WIFIでのツイッターは繋がりました。
固定電話も生きていて、家族の無事も早めに確認できました。(猫は5時間位見つかりませんでしたが…)

僕は常々、「テレビを始めとするメディアによって実際以上に拡大したヴァーチャルな臨場感と、実際に自分が出来る事の範囲を混同してはいけない」と考えています。それを混同してしまうと、不毛な無力感に陥ってしまうからです。(極端に言うとメディアを通じて世界中の飢餓に臨場感を持つ事は出来るけれど、それに対して無力な自分に罪悪感を感じながら日々を生きてはいけません)

しかし、ひょっとすると今回は違うのかもしれない…と希望を抱いてしまいました。それは昨年急速に広がり、また地震直後も機能していたツイッターの存在です。

情報の流れが一方向のマスメディアと違い、ひとりひとりが発信できるこの新しいテクノロジーによって、被災地の本来の臨場感の外にいる僕らも、なにか直接(ある程度)力になれるのではないかと思ったのです。

まずは何か有用と思われる情報のリツイートを(猫を探しながら^^;)しました。途中あまりに猫が見つからなかった為、その旨のツイートもしてしまいましたが…(絶対隠れてるから頑張って探して!のツイートに励まされました…、見つかりました、ありがとうございました)

その後、住所と氏名が書いてあり、取り残されています助けて下さいというツイートに沢山のリツイートがあり、そのリツイートもしていました。その後「リツイートじゃなく119して!」とのNHKPRからのツイートがあり(恥ずかしながら思い至りませんでした)、誰かがもうしているだろうとも思いながら、でも皆がそう思って誰もしてなかったら困る、また「もう連絡しました」という旨のツイートも見当たらなかった為、現地の迷惑になるかもしれないけど連絡して情報の確認をすれば、少なくとも該当リツイートを止められると思いました。なので119、続いて石巻の消防に電話をしました。話し中でした。

FAXがいいとも訊いたので、それだー! とFAXもしました。が、話し中でした(FAXに話し中があると知りませんでした)。

そこでやはり、現地の臨場感の外にいる僕が直接的に救援に関われる限界を、自分なりに確認しました。僕が繋がるまでかけつづけたとしても、そのよかれと思った行動が回線の混乱を助長し、マイナスに働きます。

ましてや、そのツイートに該当する人以外にも、沢山の救援を待っている人がいるかもしれません。現地の臨場感はやはりこちらからはわかりません。文字情報には限界があり、またその間違った伝わり方が現代の殆どの齟齬を招いています。

やはり自分の今いる場所、出来る事を勘違いしてはいけない、と思いました。


-ライブ、ヴァーチャルな善意、義援金-

地震のあと早めの段階で、12日の会場であるHUCK FINN FACTORYからメールがありました。まずは「無事ですか!」という内容でした。こちらの無事を伝え、翌日のライブについて話し合いました。名古屋という街の今の雰囲気を訊きました。曰く名古屋の街は比較的平穏であり、今日(地震当日)のライブも行っているとの事。それでは、やりますと伝えました。そして交通道路状況等を見て、東京から西に向かっての移動であれば、交通状況を悪化させる事もあるまいと判断しました。

それには阪神大震災の時の経験もあったかもしれません。僕はまだ高校生でしたが、被災地にまあまあ近い大阪吹田でさえ(かなり揺れましたが)翌日からは学校も平常通り行われ、余震の中も日常を取り戻すのに(僕の感覚では)時間はかかりませんでした。今回の名古屋はそれよりも離れています。特にライブを中止する理由があるとは思いませんでした。

もちろん心情的にライブどころじゃない、というお客さんもおられると思います。ぶっちゃけて言えば僕の中にもそれがないと言えば嘘になります。しかし僕にとっての歌というのは、生きる意味であり、生業であり、一時の感情に振り回されて良いものではありません。
加えて僕の名古屋ライブはメール予約のみの受け付けなので、お金は先に頂いていません。なので当日来られないお客さんがいて、そしてライブが行われたとしても、その方にとっての金銭的損失はありません。なので来られる人だけで、やろうと思いました。

地震当日はやはり眠れず、朝6時頃まで起きていました。

翌日起きると、映し出された地震の被害は想像以上でした。とても落ち込みました。ライブをやると言ったものの、そこでどんな歌を歌えるんだろうと。しかし勿論名古屋には名古屋の本来の臨場感があり、その中でその範囲の歌を歌えばいい、と考えましたが、それにしても。

そして電力不足の為ライブやイベントは自粛すべきだという意見、提案がツイッター上であり、僕のもとにもいくつか届けられました。確かに東京電力から節電の呼びかけがされていますし、僕自身前日からその種のリツイートしていました。

それに関しては、今日のライブの場所は名古屋であり、会場は沢山の照明に大規模なPAシステムを備えたライブハウスではなく、弾き語りライブを行う小さなバーです。そこでの電力消費はほぼ一般家庭、もしくは店舗と変わりなく、そこに人が集まる事によって(一人暮らしの場合、その人達が使うであろう電気を一カ所にまとめられるので)節電に協力できる可能性もあります(実際東京から観に来てくれた方から、その人の分は節電できたというメールも頂きました)。必要であれば生声で歌う事も出来る規模だし、どちらにせよ影響はかぎりなく小さいと考えました。(実際は12日、中部電力からの送電がありましたが、東西の周波数の違いから変電所を通す必要があり、実際に送られる電気には上限が定められ、その分はすでに供給中との事だっので、僕も生声ではやらず(大音量ではありませんが)マイクを使いました。)

ライブを自粛すべきだという意見をくれた方々に上記のような内容をリプライしました。皆さん納得して下さいました。
そして僕は、僕として恥ずかしくないライブが出来たと思います。
(来てくれた人の中には「ええ~!? 来るん~カット!? ほな行ってあげようか~。誰もおらんかったら可哀想やしなあ…」的な思いで来てくれた人もいたかもしれません。ごめん。ありがとう)

ひとつの国を、一つの人体として捉えたとき、例えば今回、右手に壊滅的なダメージを負いました。しかしその治癒にもし身体の細胞全部の活動が回されてしまうとしたら、その人間は死んでしまいます。ダメージを負っていない地域に生きる僕らには、それぞれに出来る範囲で日常を生きる役割と義務もあると考えます。

しかし拡大された、ヴァーチャルな臨場感によって生まれた善意(僕が昨日に電話をかけようとしたような)も、善意には変わりありません。それを無関係な所で空回りさせる事なく、効率的に被災地に届ける為にはどうすればよいのか、考えました。

結果、ヴァーチャルな臨場感(現場にいるわけではなく、メディアを通じて得られた臨場感)によって生まれた善意は、ヴァーチャルな価値に変換されるのがもっともスムーズで筋が通っていると考えました。

ヴァーチャルな価値とは…、結局それはお金です。お金それ自体に本当の価値はなく(紙切れですから)そこに付随する信用にヴァーチャルな価値があるわけです。なんらかの仕事によってうまれた価値はお金の形に凍結され、然るべき所で本当の価値(仕事、物)に解凍されます。それはこの場合、とても有効に思えました。

上記のような道筋を経て、12日のライブの売上を募金するという、非常にありふれた結論になりました。

僕がこのライブをおこなったことが正しかったのかどうかは、わかりません。
ただそこからは歌と笑顔と、少しの義援金が生まれました。家でじっとしているよりかは、良かったのかとも思っています。

これからも出来る限りの日常を過ごしながら、被災地の皆さんに対して自分が(微力なことはおいといて)出来る事を考えていこうと思います。