いいから手を動かせ!

突然ですが、この猛暑厳しい2011年の夏、僕は引っ越しの準備の真っ最中である。
考えてみればこれまで、少なくはない数の引っ越しを経験してきた。ええっと、今回で通算…7回目だ。その中には自発的なものもあればそうでないものもあったけれど、どちらにせよ引っ越しという行為が僕は嫌いではない。むしろ、好きだ。

かの村上春樹氏はエッセイの中で「引っ越しの良い所は、色んなものをチャラにしてしまえる事だ」と仰っていたけれど、まあチャラとは行かないまでも色んな事を見直したり、スリムダウン出来る事は確かだし、また新しい環境に身を投じるという新鮮さを得られる喜びもある。もちろん手続きとかなんとかかんとか面倒くさい事はあるけれど、それを考慮に入れてもやはり喜びの方が勝る気がする。飽くまで僕の場合は。

という訳で、まさに今は色んなもののスリムダウンの真っ最中で、古いPCのデータ整理の合間にこのブログを書いています。昔に作ったデモなんかを聴いて「お、これはなかなか」なんてやってると全く作業が進まないのは、実際の部屋の掃除と同じだ。懐かしい記憶と戯れるのは我慢して、とりあえず必要なものを残し、不必要なものを捨てる。

捨てると言えば、僕が捨てるという行為を初めて意識した(ように記憶している)のは、おそらく4,5歳の頃、破れた靴下を捨てた時だ。細かい経緯は覚えていないけど、大枠としては母と一緒に部屋の掃除をしている時に、母が破れてしまった靴下を見つけ、それを僕に捨てなさいねと言った、みたいな事だったと思う。そして僕が何の疑問も持たず、ゴミ箱に渡された靴下を捨てようとした時に母が、

「はい、それじゃあ靴下さんにバイバイしましょうね。今までありがとうねって。さようならって」

みたいな事を言った事を強烈に覚えている。そしてその教育上好ましい一言によって、それまで単に物質、ものに過ぎなかった靴下は僕の中で初めて擬人化され、人格化されたのだ。その途端に「今までありがとう」「さようなら」という、センチメントの両巨頭とも言える2フレーズを思い浮かべるのは、幼心になかなかのパンチ力だった。破れた靴下(擬人化後はなんとなく目鼻口まで想像出来る)が放つ哀愁というのは、なんとも強力である。突然自分がとんでもなく非道な気がして、申し訳なさでいっぱいになった。

それからというもの、ものを大切にしなくては…と心に刻み、身の回りのものを大事に扱うようになりましたとさ…、なら良いんだけど、実際はそんな殊勝な気持ちはすぐに忘れてしまうんですよね、子供っていうのは。そして大人になった今も、ものを大切にするという事にかけては全く自信がない。ある種のものに対しては、異常に大事にするんだけど。Apple製品とか、Apple製品とか。

さて、ではそろそろ引っ越しの準備にもどります。必要なものを残し、不必要なものを捨てる。

ものは大切にするのも、うまく捨てるのもなかなか難しい。しかし気づかないうちに色んなものを捨てちゃってはいるんだろうな。知らず知らずのうちに。無意識に捨てる/捨てられるよりは、意識的にそうする/される方がまだましかもしれない…なんて考えてるとまた準備が進まないぞ! いいから手を動かせ、俺!